
明智光秀あけちみつひで
- 時 代
- 室町~安土桃山時代
- 出身地
- 美濃国(岐阜県)
織田信長に仕え、信長と足利義昭(あしかがよしあき)との関係を取り結んだといわれる。1582年、本能寺で信長を暗殺したが、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、逃走の途中に農民に殺されたと伝えられる。
真相は闇の中

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
敵は本能寺にあり
1582年明智光秀は、信長から毛利軍と戦っている羽柴(豊臣)秀吉の軍を応援せよとの命令で亀山城を出発しました。しかし、一行はその秀吉の軍には向かわず、京都へと進みました。京都の桂川をわたったとき、光秀は家来に「敵は本能寺にあり」と伝えました。ここで、一同は初めて光秀が信長を討ち、天下人になる決意をしているということがわかったのです。信長を討った光秀ですが、すぐに秀吉の軍が帰り、天下をとる夢は消えました。このことを三日天下ともいいます。