
歌川広重うたがわひろしげ
- 時 代
- 江戸時代
- 出身地
- 江戸(東京都)
江戸の火消同心の家に生まれる。火消同心をつとめる一方で、歌川豊広(うたがわとよひろ)の弟子となり、絵を学ぶ。風景画に新しいかき方を生み出し、「東海道五十三次」などの名作を残す。
最期の最期まで

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
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遺言状を二度書いた広重
当時江戸のまちでは、伝染病にかかりやすかったそうです。伝染病にかかることは、そのまま死を意味することでした。1858年、江戸中にコレラがはやりました。この病気は「ころり」とよばれるくらい、すぐに「ころり」と死んでしまいました。広重もこのコレラにかかり、高熱にうなされました。もうだめだと思い、すぐに遺言状を書きました。しかし翌朝目が覚め、自分は生きているのだとわかると、今度は自分の通夜のことまで、ことこまかに遺言状に書きしるしたといわれています。