1793 ~ 1837

大塩平八郎おおしおへいはちろう

時 代
江戸時代
出身地
摂津国(大阪府)

与力(幕府の役人)の家に生まれる。幼いころから、役人を志す。1818年、大阪東町奉行所の与力になる。朱子学(しゅしがく)や、陽明学を学び、のちに「洗心洞(せんしんどう)」という塾を開く。

全ては民衆のために

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尊敬された平八郎

平八郎は、ききんで人々が苦しんでいるのががまんできませんでした。与力をやめたあとも、ききんの対策を奉行所にうったえますが断られました。そこで、自分の持っている本を売りはらい、それで得たお金を、人々に分けあたえました。しかし、それだけでは人々を救えませんでした。1837年、平八郎は米を買いしめていた大商人をおそう計画を立てました。これが「大塩平八郎の乱」となり、大阪の5分の1が焼けてしまいましたが、人々は、平八郎を「大塩様」とよんで尊敬したといわれています。

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