1837 ~ 1913

徳川慶喜とくがわよしのぶ

時 代
江戸~明治時代
出身地
水戸藩(茨城県)

徳川御三家の水戸家に生まれ、一橋(ひとつばし)家を相続する。公武合体論をすすめる。15代目の将軍となるが、1867年、大政奉還をし、江戸幕府最後の将軍となる。

第2の人生はおだやかに

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徳川最後の将軍の余生

慶喜は鳥羽・伏見の戦いの責任を感じて、江戸の寺で謹慎しました。1868年、江戸城明けわたしの際に、死罪だけはのがれることができましたが、身がらは水戸(茨城県)に移され、再び謹慎させられることになりました。江戸を去るとき、慶喜を知る人々は、あまりにもやつれたその姿を見て、なみだを流したそうです。それから3か月して駿府(静岡県)に移されましたが、その後も目立つことなく、趣味のカメラで写真をとる毎日だったそうです。この時慶喜がとった写真から、当時の人々や町の様子がよくわかります。

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