1841 ~ 1909

伊藤博文いとうひろぶみ

時 代
江戸~明治時代
出身地
長州藩(山口県)

松下村塾で学び、兵庫県令(今の知事)になる。1885年、初代内閣総理大臣となる。大日本帝国憲法をつくる中心となる。1904年、韓国初代統監(とうかん)となるが、暗殺される。

百姓から政治家へ大出世

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利助の大望

貧しい農家の家に生まれた博文は、幼少の名を利助といいました。たいへん体が小さく、顔色も悪かったため、友だちから「青びょうたん」と言われました。しかし、並はずれて知恵がまわった博文は、「(豊臣)秀吉も幼少のころは小さかったが、のちに天下を治めるほどの大人物になったじゃないか。自分だって秀吉のように今は小さくても大人になったら立派になってやる。」と言ったそうです。これを聞いて「うそつき利助」と言う者もいましたが、博文は言ったとおり内閣総理大臣となりました。

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