
足利義政あしかがよしまさ
- 時 代
- 室町時代
- 出身地
- 京(京都府)
1449年、8代目の将軍となる。祖父の義満の政治を理想としたが思い通りに政治を動かすことができなかった。その間に応仁の乱(おうにんのらん)が起こる。義満の「金閣」にならい、京都東山に「銀閣」を建てる。
争いをまねいた義政

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
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名ばかりの将軍
義政の政治のお手本は祖父の義満でした。しかし、兄の義勝(よしかつ)が幼くしてなくなったため、14才で征夷大将軍となった義政は有力な守護大名(しゅごだいみょう)たちにかつがれた、名前だけの将軍でした。そのため義政は、政治のことはそっちのけで宴会や風流を楽しむ毎日でした。早く義満のように隠居をしたかった義政は、男子がいなかったので、弟に将軍の位をゆずる約束をしました。しかし、その後男子が生まれたことで、将軍の後継ぎ争いになりました。この争いは有力な大名を巻きこんだ応仁の乱につながり、世の中は乱れました。