
大隈重信おおくましげのぶ
- 時 代
- 江戸~大正時代
- 出身地
- 肥前藩(佐賀県)
身分の低い武士の家に生まれる。1882年、立憲改進党を結成し、同じ年、東京専門学校(今の早稲田大学)を開く。1898年、日本最初の政党内閣をつくる。
始球式の空ぶり

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
政治はわが生命
明治維新の指導者の一人である重信は、薩長出身者でかためられた政治に反対し、明治政府を去りました。しかし、政治の世界からは、はなれませんでした。自由民権運動を進めるために、立憲改進党をつくりました。また、今の早稲田大学をつくったのも、若い政治家を育成するためでした。外務大臣の時、条約改正にあたりましたが、やり方に反対する者に爆弾を投げられ右足を失いました。しかし、政治に対する情熱は消えることなく、内閣総理大臣となってわが国で初めての政党政治を行いました。