
聖徳太子しょうとくたいし
- 時 代
- 古墳・飛鳥時代
- 出身地
- 大和国(奈良県)
593年、推古天皇の摂政となる。601年、斑鳩(いかるが)に宮殿をつくる。603年、冠位十二階、翌年、十七条の憲法をつくり、天皇中心の政治を進める。607年、隋に使いを送り、大陸の文化を取り入れる。
聖徳太子の特技

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
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厩戸皇子から豊聡耳皇子へ
聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)といわれていました。これは、太子の母が馬小屋の前で急におなかがいたくなり、ここで太子を産んだからだといわれています。また、10人の話を一度に聞き、それぞれに 的確な答えを出しました。そこで、とてもすぐれた耳の持ち主、つまりとても賢 い皇子として豊聡耳皇子(とよとみみのおうじ)といわれるようになりま した。太子はすぐれた政治をしたとともに、学者でもありました。 釈迦(しゃか)の教えを説いた「法華経(ほけきょう)」の注釈書をつくったり、「天皇記」「国記」という歴史書をつくったりしました。