
足利義満あしかがよしみつ
- 時 代
- 室町時代
- 出身地
- 京(京都府)
1368年、3代目の将軍となる。1378年に「花の御所(はなのごしょ)」をつくる。1392年、南北朝を一つにまとめ、太政大臣となる。1397年に、京都北山に「金閣」を建てる。明(中国)との貿易も行う。
権力は我にあり

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
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上皇になりたかった義満
義満は次男に親王なみの成人式を行わせたり、自分の行列に、上皇と同じように公家をともにさせたりしました。明との貿易では、自分を「日本国王」と名乗りました。この貿易で巨額の富を得た義満は、「金閣」を建てますが、これは上皇になるための拠点でした。後に義満の夫人は天皇の母に準ずる位につきました。しかし、正式に上皇の名をもらう直前に、義満はなくなりました。そこで、鹿苑寺太上法皇(ろくおんじだじょうほうおう)のおくり名をつけられることになりましたが、息子の義持(よしもち)は、おそれおおいと断りました。