
平清盛たいらのきよもり
- 時 代
- 平安時代
- 出身地
- 伊勢国(三重県)
伊勢平氏の棟梁、平忠盛(たいらのただもり)の長男として生まれる。1156年の保元の乱(ほうげんのらん)では、源義朝(みなもとのよしとも)とともに大きな戦果をあげ、1159年の平治の乱(へいじのらん)で、その義朝をたおす。1167年に太政大臣となり平氏の政治を行う。
源氏をたおすのじゃ!

まんがは、一部おおげさな表現になっているよ。
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
くわしく学びたい人は、
本やインターネットなどで調べてみよう!
清盛の死
●清盛が整備した港
清盛は宋(中国)との貿易を望み、福原(今の神戸)の港を拠点として考えました。しかし、福原は大きな船の荷物の積み下ろしに不便な場所でした。清盛は、山をけずり、その土や岩で海をうめ立てるという大工事を行い、風や波から船を守る人工島をつくりました。大型船が安心してとまれる港になったことで、宋との貿易は活発になり、平氏はその富を独占しました。福原は神戸港として発展しました。
●清盛の死
1180年、源頼朝が平氏打倒をかけ関東で立ち上がり、平氏の力が及ぶ西国まで攻め込もうとしていました。清盛は熱病で苦しみながら「平治の乱のあと、頼朝を殺しておけばよかった。頼朝の首を見るまで死ねない」と後悔しました。